昭和48年10月15日 朝の御理解
御理解 第18節
「此方の事を、神、神と言うが、此方ばかりではない。此処に参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とは、此処に神が生まれると言う事で、此方がおかげの受け始である。皆んなもその通りにおかげが受けられるぞ。」
金光大神その人が、生神の道をはっきりと教えて下さった。所謂打ち立てて下さった。だから金光大神の道を頂き、それを行じて行くなら誰でも生神になれれる。生神のそれは、百年二百年、三百年とそれは私共が死後に於いても変りません、けれども私共はこういう生き方、こういう道が生神への道だと言う事をはっきり解らして貰ろうて、そういう姿勢でこの世にある限り、その事を行の上に現して。
勿論なら霊の世界に入りましても、魂の世界に入りましても、やっぱり魂はその事を願いながら、御霊の言わば位を進めて行く事であろう。だから何処までも限りなく此の道を進めて行くんだと。只だからなら参っとります、金光様の信者でありますだけではいけん。金光大神の言わば道と言う物はね、私共がはっきりそこに頂かねばいけん。どう言う道かと言う事を。まあそこでまあ一番端的に言えれる事は、教祖様はお言葉の中にも御座います様に、此方は全ての事に実意丁寧を貫き通したと仰っておられる。
どんな場合であっても実意丁寧を通された。私は今日は大変な事を頂いたと思って本当に有難い。とその事ばっかりを今日はお礼を申さして頂いた。真で成就せぬ事はないとか、真心一筋真心さえあれば人が助かるという、まことからの真心、またはそれを実意と言った様な言葉で、実意丁寧神信心と言った様な、是は金光教独特のものだと思うね。今日私は解らせて頂いた事はね所謂実意丁寧。
所謂実意と言う事がそのまま真心だと言う事です。こりゃ本当に実意をもってしなければならないな、実意をもってすると言う事はそのままが真心、真心では人が助かる程しの、又は自分も助かって行けれる、又は事が物が成就せぬ事はない。この事を以てするならば。昨日私は午後の奉仕の時に或る方がお届けをされた。その時に私は本当にその方が言う通りだなあと思うとったけれども、それがずうっと一日気にかかって、今日も御祈念の時にもその事が気になっておった。
と言うのはその親子の関係で、親子の問題である。 嫁さんとお母さんの仲があまりよくない。その嫁さんも本当に私が人間的にみえて、真心込めてそのお母さんに接しよんなさる様ですけれども、そのうお母さんは、それを返って反対の方に取られる。だからそのう幾ら真心でしても、家のお母さんは他所の人は知らんけれども、お家のお母さんだけはもう真心の通じない人ですとこう言われる。
だからもう良い加減にした方が良かという意味の事を言うんです。しかしそう言う事でやっぱり、そう言う事であっちゃいけん。けどそれはそうたいほんなこつあんた方はそげんじゃなのと言うごたる風に言わねばならん様な感じなんです。でその事を今朝お願いさしてもらいよりましたら、頂きます事がね。焚き物です、薪です、薪をこう縛ってある綱が切れて、その薪がばらばらになった所を頂いた。ははあ真木とは所謂真心の事ですね、真の木と書いてある。
ははあ真心というのはね、真心というのは途中で切れたら、真心じゃあないと言う事です。どんなに私はあの人に真心を尽くしょるけども、反応がない、応えがないからもう私は止めたというのは、それはあなたは真心じゃないと言う事なんです。真心と言う物はねそれを貫き通されるのが真心です。それがお道でいう実意なんです。是だ生神金光大神になる道は。私は合楽の方達の場合、皆生神への道を一生懸命辿っておられるなあと。そこでその真心がです途中で消える事なく続け抜かれる事を。
今日は聞いて頂きたいと思うんです。皆さんが例えも合楽教会大発展を願われる。親先生の御健康を願われる、と言った様な事でもです是は絶対言うならば真心じゃなければ出来ません。けれども一生懸命お願いしよったばってんから、途中で止めたらそれは真心ではないと言う事です。是はなら親先生とか合楽教会だけの事じゃありません。様々ななら信心の修行をなさっておられる、真心込めてなさっておられる。そんならそれが消えたら真心じゃないです。薪がばらばらばらになる。
真心とは貫かれる事。勿論だからあの人は真心の厚い人じゃとこう申しましょう。だから真心にも、厚い薄い深い広いがある事は事実です。真心もだから豊かな広い大きな真心が有難いです。けどもささやかであってもです、それが貫かれる。この世だけでないあの世までそれを持って行って貫くと言う是が素晴らしいです。是が生神への道をなら一歩々であっても近付いて行く事なんです。
私は今日はその真心と言う事を真心、真心、真、真というけれども、実意、実意と言うけれどもね、もうそれを途中で切ったら、もう欠いたら実意じゃない。此方は実意を立てて貫いたと教祖は仰っておる。成程生神様になるはずだと思うです。例えばまあ私の事を言えば可笑しいですけれども、なら私と三井教会の場合でもそうです。何十年とおかげを頂き、段々おかげを頂いて来た。是はもう神様の御神意御神慮だと思うですけれども、様々な問題があった。
丁度五年間あまり私と親教会との間に一つの疎遠になった。もう私がお参りをしなくなった。けれども是は必ず時期が来ればおかげになると、勿論確信してましたから是はもう、絶対毎日私は五年間おひき届けを致しましたからね。毎日こうやって私はお包みしましたよ、向こうが向こうならこっちもこっちともし私が切っておったら、私のは真心じゃなかったと言う事になるのです。所が五年間も様々の問題があって、そう言う時であっても私はそれを貫いた所に私の真心は、なら今日まで連なっておる。
しかもその時分のささやかな真心でなくてそれが段々厚く広く豊かに大きくなっおる事実がある事なんです。私は今度、御本部の御造営が終わったと同時にです、親教会の御造営の事を言わば発願しておるですね。是はだから私か何年何十年かかってでも、是だけは貫き通したいと思っております。今現在ね、だから大きくなって行きよるでしょう。真心も大きく広くなって行かなきゃ駄目です。あの人は真心の厚い人じゃとこう言う。なら真心にも厚い薄いがある事がわかるでしょう。
だからささやかな真心、それが丁重な豊かな大きな、真心になって行かねばいけんのです。お芝居に変化ものがありますね、所作物、紅葉狩りと言った物があります。始の間は、もうーそれこそ水の滴る様なお姫様です。それこそ口ではもう、それこそ水の滴る様な立派な事という。そして自分でも真心と思いよる。嘘じゃない、けれどもです、段々時間が経って行くに従って、その真心が変化して来る、変わって来る。そして似ても似つかぬ、例えば紅葉狩りでは鬼になるですね、最後には。
それこそ鬼じゃろか、蛇じゃろかと言う風に変わって行く。是はだから真心じゃないと言う事が解ります。反対に真心と言う物は、育って行かなければならないね。浅い物から深い厚い物になっ行かねばならない。その思いを立て貫かねばいけない。それが真心です私は今日はこの事を頂いてからもう、なら皆さんも真心を貫いて行きよんなさる。だからそれが途中で変化しない様にね、似ても似付かない物になって行かない様に。
家の婆さんばっかりは幾ら真心を込めてしたっちゃ、いっちょん変わらっしゃらんからもう止めたと。それは婆さんが変わらっしゃらんはずあんたが真心がないから、いいえ私は真心でしましたけれども、向こうは向こうだとこう言いよると言うのは、それは真心じゃないと言う事です。だから小さい真心で通わんなら、もちっと大きな真心になって行かにゃいけんのです。真心の工夫がいる訳なんですね。
是は私の真心が足りんのだと言う事にならなければいけない。真心は真心で貫かして貰わねばいかん。けれども是はまあだ私の真心が足りんのだと、それをもっと深い広い、言うならば厚い物にです、して行くと言う所に信心がある。教祖様といったお方はですそう言ういわば真心を、それをお道では実意と教祖はあらゆる所で言葉をお使いになっとられます。真心とは真の心と書いてある。
実意とは実際の意、意とは心同じ事なんです。私はその事も始めて解らして頂いた。ははあ実意とは真心の事だと言う事。途中で切れる様な物はもう真心じゃないです。そして私は是程真心でしたけれども、あの人は言わばそれに応えてくれなかったと言うて切ってしまう。そりゃ通じないはずたい、あなたのは真心じゃなかと言う事になる訳ですね。ね。祈っても願っても神様に対する真心を貫かせて頂いて行く内にです。
是はまあだ私の真心が足りんのだと、その真心でねだから増やして行かにゃいけんのです。それをもっと強い物に、もっと広い物に、深い物にして行かにゃいけんのです。成程是なら、誰でも生神になれるなと私は改めて今日の所の、改めて十八節を頂くのです。今日私は、真心と言う事を色々の角度から頂いて来たけれども、今日私が皆さんに聞いて頂いたのは、言わば真心の決定版だと思いますね。
ですからお互いの真心をです、もっともっと強いものに、立派なものにして行くと言う事が、そのまま生神への道をっひたすら歩かせて頂いておると言う事になるのですね、お道の信奉者の全てが、生神へ向かって進まなければならないと言われております、生神への行進です。それはどう言う事かというと、実意を立て貫く事です。真心を愈々本当なもの、いや本当な物。
それは小さくても本当の物ですけど、真心を愈々育てて行く事なんです。生神への道とは。今日はそういう大変な事を頂いたんです。真心で所謂真で成就せん事はないと仰るのですから、その真心を愈々、是はまだ真心がお粗末だ足りんのだ、小さいんだと解らせて頂いて、愈々それを大きく育てて行く言う所に、信心の所謂、肝心要の所がある様に思いますね。
どうぞ。